作曲家、ロクリアン正岡 (Locrian MASAOKA) のホームページにようこそ ご意見・ご感想はこちらへ locrian@saturn.dti.ne.jp ![]() 特報 来る11月27日、日本現代音楽協会主催のフォーラム・コ ンサート第2夜、19時より新宿初台の東京オペラシティリ サイタルホールで拙作を発表致します。メンバーはシュピー ル室内合奏団から、ピッコロの大岡美佐子さん、クラリネッ トの倉愛花理さん、チューバの本橋隼人さん、ピアノの新居 由佳梨さんで、上の写真は10月28日の第一回合同練習に おけるものです。作品名は「全音音階WTSの恩恵を受ける異 種生物一家」。これは私が今年が書き次のNEW COMPOSER に掲載される論文「生死を超えた観点から、音楽史の過去、 現在、未来を考える」に支えられ、なおその論考内容を証明 する為の楽曲であります。それゆえこの楽曲は現代音楽はも ちろんクラシック音楽にも異論を唱える姿勢に貫かれたもの です。にもかかわらず、音楽としてはとても可愛らしく、力 強く、バラエティーに富んだものかと存じます。歌詞はなく とも8場からなるオペラ、という”表象の明度”を有するもの です(ネット配信もされます)。 緊急作曲のご報告! この新型コロナウイルスに世界中が感染している状況の中、 以下のようなウイルス論を執筆し掲載する有名生物学者と 大新聞の勇気? ウイルスを知らない人々が読んで仰天しまくり感動しまくっている模様で、
福岡伸一の"動的平衡"ウイルスという存在
「生命の進化に不可避的な一部」
ウイルスとは電子顕微鏡でした極小の粒子であり、生物と無生物の間に漂う奇妙な存在だ。
生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。
それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り変えて、あやうい一回性のバランスのうえにたつ動的なシステムである、と定義する見方―つまり、動的平衡の生命観に立てば―、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。
これはいったいどういうことだろうか。問いはウイルスの起源について思いをはせると自ずと解けてくる。ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、またどこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかし、ウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては主を超えてさえ伝達しうる。それゆえにウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。おそらく宿主に全く気づかれることなく、行き来を繰り返し、さまようウイルスは数多く存在していることだろう。
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http://wood248.blog.fc2.com/blog-entry-236.html |
の主である森さちや、こと森幸也氏という科学史家である。
「全体感なくして芸術音楽の解読は無理」というのが私の持論だが、この人は“意識の山”
さて、ここまでただただ観念まかせに大きなことを語ってきた私ですが、現実はと言うと
なお、別の切り口からもこの問題に切り込んでおります。
ヤフーやグーグルで
「日本現代音楽協会 アンデパンダン展参加レポート」
と打つと出てまいります。
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*以下、動画をユーチューブに、楽譜はホームページにアップしてあります。
・於:1999年11月2日、市谷 ルーテルセンター
二重奏曲「メランコリア」―アルトフルートとヴァイオリンによる
https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=99U1k5CH8ZY
・於:1981年 西ドイツ、メンヒェングラードバッハ
弦楽六重奏曲(指揮つき)「マックス・エルンストへのオマージュ」
https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=cagKEQcFrks
・於:2000年10月9日、府中の森芸術劇場ウィーンホール
ピアノパッサカリア「壊教」―バッハのパッサカリアの場合
を若きピアニスト有森直樹氏の優れた演奏でお楽しみください。
https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=16s8vct1LiQ
なお、論評も出されています。
http://wood248.blog.fc2.com/blog-entry-236.html
・11月29日、新宿の東京オペラシティリサイタルホールでの現音アンデパンダン展出品曲:音楽昇華術・T「ある夫婦の物語」―クラリネット〈夫役〉とヴァイオリン〈妻役〉による-2017
https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=eTCWWPVRWmE
*最近ちょくちょく楽譜を掲載しておりますが、展覧会「怖い絵」が余りに良かったので
変曲「怖い”アヴェ・マリア”」の動画とともに楽譜も掲載いたしました。
心が求めた時に試奏して見てください!
https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=jC5nuTHKoOw
1)critique(批評)のページに書きました。
一回目は
「物理学者:一丸節夫氏を巡る数名による議論」で、多岐に渡りますが、意識の高い人には楽しんで頂けるのではないかと、力を尽くしました。2017.10.6
力強いコメントを得て、話は医療という私たちの生活現場へと広がっています。
2)
infoのページにこれからのコンサートのご案内を
書き込みました。2017.10.06
特報!
わが最新作「聴能力全開のための六重奏曲」の楽譜をSCOREのページにアップしました。
特報!
今回、わが弦楽四重奏曲、第2番、第3番の楽譜を掲載し、またSQ3の生演奏をユーチューブ(いずれはニコニコの音楽カテゴリーにも)に投稿することにした。
また、この錚々たるメンバーの演奏にはやはり見るべきものがあった、と今回再認識させられた次第です。音が立っているのです。
以下は、そのSQ3「異形・日本・かぐや姫」!現代曲としては長い方ですが、一瞬の緩みもない音楽のことゆえ、最後まで通してお楽しみください!
実演!ロクリアン正岡SQ3「異形・日本・かぐや姫」
特報;ロクリアン正岡、今までで一番の力強い楽曲「聴能力全開のための六重奏曲」をユーチューブに投稿しました。PC音源ですがあなたご自慢の聴覚を煽る力は他に負けてるものではない、と存じます。お楽しみください。2017.4.2
2月1日の現代の音楽展(日本現代音楽協会主催)のアンデパンダン展の第一夜においでいただいたお客様に心より御礼申し上げます(来場者数171、ちなみに第二夜は200名余)。演奏は期待通りの出来で数日中には動画をネット(まずはユーチューブ)に掲げます。
以下は、コンサート直後に頂いたある作曲家からのメール全文です。
長い間、音楽会から感動が失われて久しい。しかし、昨日の兄の曲は違った。あれほどの音のエネルギーの自立的な推移と必然性が、人の心を否応無く感動へと運んでしまう曲は、極めて稀だ。兄の曲が良いという言い方は、照れくさくてできなかったので、「名演だった」と兄に告げてひとり帰ったが、目が覚めて、あらためて感心するとともに、兄の置かれた、いや、兄ばかりか私達日本の作曲家たちの置かれた状況を、考えざるをえない。まず、日本語という言語の非音楽性。日本語は響きが下にあるために、西洋流のベルカントには絶対になじまず、能、演歌など、響きを下に落として地声を旋律にする。5つの母音のうち、鳴り易いのはA,O,U,E,Iの順で、A,O以外は殆ど響かない。この点で、「死無」は最悪であった。しかし2人の演奏家は、よくそれに耐えて、オペラのクライマックスのような圧倒的な音楽的頂点を導いた。それから、歌詞は、ほとんど聞こえないのも、毎度のことだ。これも兄のせいではなく、文化全体の問題だ。私と妻にとって、日本語の聞こえるうたが、長年の課題であった。この点につては、私たちはほぼ解決したと思う。兄の今度の曲で一番の問題は、曲の構造的崇高さに比べて、歌詞の今日的な軽さと、卑近さのアンバランスだと思う。しかしこれは、兄の気持ちが分かるだけに、今日の日本の音楽的状況の悪さを、呪うだけだ。とにかく、めげずに作曲するのみと,我が身に言い聞かせながら、兄に御目出度うを言おう。2日朝。
以上、2017.2.5ロクリアン正岡編集
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新年2017ご挨拶
さあ、人間たちに“宇宙自身”としての自覚を促しうる音楽の潜在能力の開発を始めよう!
1)ちょうど、一人の作曲家の作曲史はか細いしその生産楽曲も微々たるものであるように、過去の大作曲家を中心とした作曲史もか細いしその生産楽曲も微々たるものである。
昨2016年、私は作曲活動を始めて以来、質量ともに一番の生産物を物にした。
その過程で分ったことは、音楽の潜在的能力の大きさであり生産可能領域の広さであった。
私が気づいた限りですらこうなのである。
自分の作曲能力に拘るな!音楽の持つ潜在能力を解放せよ!
こういっても漠とした印象のそしりは免れまい。だが、音楽の働き、役目、機能、作用、といったことを、現在、既に人類が立ち行くことが難しくなりつつある状況で一体何が求められているのか、ということとセットで考えて行くと、いよいよ音楽の潜在能力の出番だな、ということが生々しく感じられてくるのである。
それは、音楽を受容する側の能力を引き出す力の強い音楽が求められている、ということである。
音楽史上には、発信型、いってみれば「声」タイプの楽曲ばかりではなく、そういう聴覚的機能を大切にする楽曲も多く現れはした。だが、土台かつ所詮、作品を物した能力が主役であり続けた。これはやはり聖書の創世記の「この世を作った神」に倣う意思が働き続けて来たからだし、「神」忘れの現代においても、人間主体に長いこと刷り込まれたこのような意思に逆らうことは難しいということなのであろう。対象なら否定しやすいが、自分の事となると否定するどころか気づくことさえおぼつかない。
日本人あたりなら、創世記に準拠する意思など、もともとないままだ。明治以来、日本人作曲家たちは西洋音楽や西洋作曲技法を持続的に熱心に学び「西洋音楽語」の“読み書き聴き話す”ことに習熟して来た。創世記に準拠する意思など持たぬままに。今は、「だからダメなんだ」ではなく「だから凄いことが出来るんだ」ということを分って頂きたい。要するにこの日本人の弱点を強みと読み替えるのだ。
倫理的なことを比喩で言わせていただくなら、患者の為のお薬は、作り手側の個性や能力を顕示するものではない。もしそんな薬が作られ与えられるとしたら病人は本能的に違和感や恐怖を感じ飲まないだろう。これからの音楽には、このお薬、あるいは料理(食事)のようなものが強く求められるだろう。まだ、そのような音楽はほとんど現れていない(いわゆるヒーリング音楽など薄弱この上ないものだ)。したがって、人間の受容能力(咀嚼消化吸収)を最大限に引出し、自己治癒能力にアピールできるような楽曲が求められている。そのとき、音楽は鑑賞者にとって、自分自身を味わいつつ鏡に映し、鏡に映しては味わうものと化すだろう。個々の人間が、人類全体が、いったいどっちの方に進んで行って良いのか、何をやったらいいのか、正直分らなくなっている時期に突入しているのだからこそ、このような音楽の働きに頼らねばならないのである。音楽は自己認識を促してくれる。
すでに、私の楽曲の鑑賞者のうち、もっとも良質な方々はそのような体験をされている模様なのである。その場合、その楽曲は単に触媒に過ぎない。彼らが宇宙の一分子として潜在的に持っている大事なものが目覚めつつあるのである。
人間はまずは火を発見した。そしていくつかの画期的な発見や発明により人工力を発展させ過ぎ、今、自らの自然性とのバランスを壊すに至っている。
これは地球温暖化など外的自然破壊よりももっと切実な問題に違いない。騒がれている外的自然破壊からして内的人工力の異常な高まりが元凶だからだ。
音楽は人工性と自然性の中間物だが、それでもあらゆる芸術の中では最も人間の自然性を触発できるものの一つであろう。
宇宙的な、更には人間を含んだ“宇宙の根拠からの叡智”の導入は、音楽鑑賞側の無尽蔵の受容能力の高まり一つに掛かっていると言っても過言ではあるまい。
2017年を新音楽誕生元年としたい、いや、しなければならぬ。人類が立ち行くために!
2017年(平成29年)元旦
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お知らせ
(2016年)12月30日に1998年にロクリアン正岡を名乗るために作曲したその後のロクリアン正岡の礎となっているロクリアン交響曲「”7”の神通力」-(室内orフル)オーケストラによる の楽譜と説明をSCOREのページに一挙掲載、それと同時にユーチューブ並びにニコニコ動画にも音源アップいたしました。パソコン音源と大変相性の良い楽曲化と存じますが、ライブ演奏では更にその上を行く演奏を期待いたしております。
これからも、作曲の合間を見ては旧作の掲載に努めてまいります。どうぞよろしく!
特報
新作、ロクリアン・ラヴェル作「痴漢撃退“シ”のボレロ―歌:初音ミク」を5月20日にユーチューブとニコニコ動画にアップいたしました。なんと5月1日「ボレロ」が使用フリーとなったばかりですが、M・ラヴェル氏の御気持は如何に?
今回、「ボレロ」も弄りまくって思ったのですが、「これを、かの作曲御三家の“バモベ”ことバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンが聴いたら真っ青顔になるだろう?」、というのも音楽の本源的特性に徹底的に準拠しているからです。
以下は某氏へのメールです。
1)ボーカロイド(初音ミクなど)をもじって”ボーレロイド”
そう呼びたくなるほどのボレロです。
今度弄りまくって思ったのだが、あれは、楽曲版の初音ミクですな。初音ミクは歌手
版のボレロというわけ。
シェーンベルクらの新ウィーん楽派などどこ吹く風、華美なデザイン風でありなが
ら、その構造には、存在への素晴らしい洞察が働いております。
主題はABの二段に分かれますが、
伴奏は淡々と一度と五度にいるまんまです。
Aはメロディも”白い音(LMのいう)”ばかりですが、Aの7小節以降、二度と五度に
変わりもしない、というところが物凄い!
和声を知っているわれわれは、すぐに保続低音を連想しますが、あの求心力、や集約
力、統一力とは、全然違うもの。
私には、まるで、「この世もあの世もいっしょよ』とぬけぬけとラベルが言っている
ように感じますがいかが?
―メール文はここまで
とにかく、ドイツ人から絶対出て来ない、実にフランス人的な発想であり音楽であると言えないでしょうか?
満員電車で女性が朗々とボレロを歌い「シッシシシ!」と無声音をまき散らすと痴漢らしいのがすごすごとその場を去ってゆく−そんな平和的光景を夢見ての本作だ。発端は「勇気ある女子高生考案のバッジが車内の痴漢抑止の効力発揮」(4月8日の朝日新聞夕刊トップ)の記事。ならば、音楽も負けてはいられない。ボカロキャラのミク、楽曲「ボレロ」、筆者のロクリアン脳が一致団結すればとんでもない”空性力”*を発揮できるはずなのである。余りにもあっけらかんとした明るい雰囲気に「痴漢に相応しくない!」と戸惑う方々もおられよう。だが車内での慎重で陰湿な痴漢は日本独特なもの。この音楽は太陽のような乾燥力で満員電車の痴漢生息環境を消滅させるかも?M・ラヴェルの痴漢の真反対のような眼差しが頼もしい。
*空性力?
これは私LMの造語でしょう(さっきまで「空力」としていたのですが、これは別の意味がありますので変えました)。
空っぽと言えば、ただただ空虚でムナシイダケと感じがち思われがちですが、決してそうばかりではありません。
真空の筒があるとして、その蓋を開けたとたん大変化が生じるではありませんか。
こう言ってよいかどうかですが、満員電車内の男が抗しがたい女子高生の吸引力?も一緒に出来る話かもしれませんね。
そんなわけで、あるいは逆説的かもしれないけれど、
「痴漢撃退」に永遠の効果を持ったものとしてモーリス・ラベル氏の「ボレロ」を用いたことは正解、ほとんど唯一と言って良いぐらいの正解ではなかったでしょうか?
2016年(平成28年)5月21日朝
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新年は現音のアンデパンダン展が2017年の2月(3月)になるとのことで主にネット上での展開になると思います。
ただし、「精神の上半身」あるいは「意識の中心」が!!あの世にある!!ロクリアン正岡の特性―これは他者からも良くも悪くも言われていることです―を今まで以上に発揮すべく、この世への突込みをさらに強化し皆様の脳にビリビリ(美理美理*)と迫る楽曲を配信することを誓います。
こんなことが出来るメディアは何をおいても音楽であり、また人の業としては作曲であります。
ただ、音楽の場合、体験側はどうしても美(*)的快感のみで終始しがちです。真(*)的快感をも体験して頂くためにはLM音楽を裏打ちしているところの概念を表に出す必要がありますね。それについてはこのHPや現音のウェブサイトにも掲載されておりますが、今後も随時書き加えて行く所存です。なお、最近は我がロクリアン的天然脳の活動の場をフェイスブックにも広げおります。「ロクリアンスタイルの喜怒哀楽」を生でお楽しみになりたい方はこちらの方も覗いてみて下さい。
それではこの一年、皆様ご一緒にこの世に留まりつつ参りましょう
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日本経済新聞の今週の一押しにも選ばれたCD.。ロクリアン旋法をじかに掴むのにはこれが最適。
乙女三題というかわいらしいピアノ曲からローター・ツァクロゼック指揮の超複雑な弦楽六重奏曲まで満載。
アニメーションにも使えそうな幻想性に富んだ曲が満載。異次元の寒冷な空気があなたをリフレッシュ!
ここには、現代音楽の未来への突破口が10個ある。LMの潜在的作曲能力を調べるのに最高の一枚。
ピアノや木管楽器がLMのあらぬ面を暴いた、珍品集。
電波妨害/情報戦争/毒ガスの夢/バグダッド大空襲/砂漠の嵐/環境汚染(とその後)